「安保法案」の白紙撤回を求める請願書

「9,177筆」のご署名を頂きました!

2015.9.11、公明党本部にて、

山口代表宛ての親書と共にお届け致しました。

ご協力頂いた皆様、ありがとうございました!

私は、創価学会員です。私の父母は若いころ入信をし、私は生まれて間もなく入信した、いわゆる「学会2世」です。信心根本に、男子部・壮年部の活動をしてきました。熱心に頑張った時期も、そうでなかった時期もありましたが、これまで信心を続け、人生の山谷を越えてこられたのも、学会の同志の皆さんの励ましがあったおかげと感謝しています。

私は、公明党の支援活動にも積極的に参加していました。公明党は、池田大作創価学会名誉会長がつくられた、仏法の生命尊厳の思想に根差した、平和主義・人間主義の政党です。全国で3千人もの議員(内、約3割が女性議員)が、生活者の側に立って、日夜奮闘しています。皆さん真面目で、熱心で、謙虚な方々です。私は、この社会を「誰もが安心して暮すことができる平和な社会」にしてほしいがために、公明党を応援してきました。

しかし、今回の「安保法案」に関しては、承服できません。

この法案は、「武力による抑止力を高める」ことを目指しています。それは同時に、相手国との間に緊張感を高めます。国家間の思惑により、お互い人間同士の生命を危険にさらそうとするものです。池田先生は、武力による抑止力も集団的自衛権も否定されており、法案は、仏法の「生命尊厳」の思想に反します。

この法案は、「憲法違反の疑い」が持たれており、多くの憲法学者や識者、文化人らが声をあげています。「国民の理解がすすんでいない」のではありません。政府の説明を聞けば聞くほど、この法案の不安定性、危険性を知り、まさに「戦争法案」であるとの理解を深めているのです。国会前や全国各地でのデモが行われ、多くの国民が「法案は廃案に」と叫んでいます。議員が、その声に耳を傾けないのは慢心であり、「大衆とともに」歩む公明党の党是に反します。

この法案は、政府与党の主導で作られています。憲法には、主権者たる国民のあらゆる権利をまもり、国家権力の暴走をとめる「立憲主義」の精神があります。先の大戦で、創価学会初代会長・牧口常三郎先生は、時の軍部権力に抗い獄死されました。生きて牢獄を出られた戸田城聖第二代会長は、「青年よ、心して政治を監視せよ」と獅子吼されました。常に民衆の側に立ち、権力と対峙する創価学会の誇り高き歴史です。この法案を成立させることは「民衆を押さえつける権力を監視し、縛り付ける」という立憲主義の精神に反します。

以上の理由から、私は、ひとりの学会員として、「安保法案」の白紙撤回を求めます。

私たちの師匠である池田先生は、「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない」と明確に言われています(2001.9.25 毎日新聞インタビューより)。また、「相手がどんな立場であろうと、その行為が間違っていれば、何をやっているんだ!先生の指導と違うではないか!と、はっきり言い切っていくべきである」とも指導されています。

公明党には、原点に立ち返り、信義に基づく勇気ある行動と決断をして頂きたいと思います。その思いを込めて、参議院での審議期間中に「安全保障法制関連法案の白紙撤回を求める請願書」の署名簿を、山口那津男公明党代表に手渡して参ります。

こちらの趣旨にご賛同いただきましたら、是非とも、ご署名のご協力をお願いいたします。

ご署名頂きました署名簿は、8月31日(月)で、

一旦、受付を終了しております。


「安全保障法制関連法案」の

白紙撤回を求める請願書

公明党代表

山口那津男 様

2015年7月16日、衆院本会議において「安全保障法制関連法案」が、自民公明ほか賛成多数で可決されました。公明党は、党綱領に謳われている通り「人間主義」であり、「生命の尊厳性」を柱にしています。そして「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との誓いのもと、常に民衆の側に立つことを信条としてきました。それは、党創立者である池田大作創価学会名誉会長の指針であります。

しかし今回の法案は、多くの憲法学者が「違憲の疑い」を指摘しており、戦後70年「誰も殺さず、誰も殺されない」日本の不戦の歴史を大きく転換し、「人間との対話と文化交流」で築き上げてきたこれまでの平和外交を踏みにじるものです。「抑止力」による外交は、国家間の緊張を高め、人間の生命を脅かす、まさに「戦争法案」です。この法案を成立させることは、公明党の立党性精神に反するものです。

いまこそ、民衆の声に謙虚に耳を傾け、「平和の党=公明党」の原点に立ち返り、「安全保障法制関連法案」を白紙撤回して頂きますよう請願いたします。

白紙撤回を求める

ひとりの学会員


◎お問合せ・連絡先          

 ご署名をこちらまでご郵送下さい。

「白紙撤回を求めるひとりの学会員」

〒446-0072     

愛知県安城市住吉町長根210

天野達志 TEL:090-1737-8429



 2015年・「安保法案」の白紙撤回を求める

署名活動を振り返って (スピーチ)

私は、昭和38年、学会2世として生まれ、男子部時代は東京都豊島区で副本部長、牙城会の本部担当をさせて頂いていました。

その後、結婚をして文京区に移りましたが、仕事の忙しさに流され、学会活動からも、信心からも離れていきました。やがて、仕事に行き詰まり、家庭不和となって離婚。三人の子供を抱えて、タクシードライバーになりました。そんな人生のどん底にいた私の所に、地元の学会の方が、何度も訪ねて来て下さいました。「もう一度、信心で立ち上がろう」と、励まされて発心し、再び、ご本尊の前からスタートすることができました。お題目の力で元気を頂き、仕事と子育てに全力で挑戦。報恩と感謝の思いで、7年間、地区部長として戦わせて頂き、折伏、新聞啓蒙、選挙の戦いにと、全てやり切ることができました。

一昨年、私は、生まれ故郷の愛知県に帰り、父母と小さな畑を耕して暮しております。

昨年、別れた妻と復縁を果たすことが出来、大きな功徳を頂きました。励まして下さった同志の皆さんと、その学会を創り、護られた師匠・池田先生には感謝の思いで一杯です。

 さて、一昨年の7月、集団的自衛権の一部行使を認めた安保法案が閣議決定されました。

 それまでの私は、学会員として、当たり前のように公明党を支援してきました。公明党は、仏法の説く生命尊厳と人間主義を謳い、誰もが安心して暮らせる社会を創ってくれる政党だと信じていたからです。しかし、今回の閣議決定を知り、私は「あれっ?」と思いました。もともと集団的自衛権に反対していた公明党が、態度を変えたのは、どういう事だろう。公明新聞には、「新三要件で歯止めをかけた」と書いているが、本当に歯止めになっているのか。疑問に思った私は、地元の幹部に聞きましたが、「巨大な自民党に対して、公明党は少数ながら、条件を飲ませ、よくやった。」との説明に、一旦は納得したのでした。

 しかし、再び、疑問に感じる事が起きました。それは昨年6月の国会で、3人の憲法学者が「安保法案は違憲である」と発言した事です。その後の政府の答弁を見ていましたが、私の疑問と不信感は増すばかりでした。

 世論調査では、充分な国民の理解を得られておらず、早急な法案の成立を望まない声が高まっていました。私は公明党が、そのような私たちの声を聞き、自民党に、法案を再度検討するよう、働きかけてくれることを期待していました。

 そもそも、この安保法案は、公明党の選挙公約には無かった物です。今すぐやらなければならないものではなく、差し戻すこともできたと思います。しかし、公明党は、自民党に向かうどころか、私たち支持者に向かって「もっと勉強して下さい。理解して下さい」と言ってきたのです。学会の会合で、公明党の安保学習DⅤDをみました。

 この法案は、「武力によって抑止力を高める」という物です。しかし、それは、相手の命を蔑ろにすることであり、仏法の生命尊厳の教えと池田先生の平和思想に反しています。「違憲だ」という学者達の声を聞かず、解釈改憲を進める政治家たちの行いは、立憲主義に反しています。

国会答弁やDVDを見て、法案の内容を知れば知る程、私は、この法案は成立させてはならないと強く感じました。池田先生の指導を学んだ学会員なら、誰もが安保反対だと思い、地元のメンバーや幹部の人と話しましたが、意見がはっきりしない人や、法案の中身を知らない人、公明党をどこまでも信じたいという人が多く、はっきり反対だという人はわずかでした。

そして7月16日、衆議院本会議にて、自民公明の賛成多数により、安保法案が可決されてしまいました。まさにこの日は、755年前、時の権力者、北条時頼に対し、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、国家諫暁をされた日でした。片や現代において、公明党のやっていることはどうでしょうか。

「立正安国論」には

「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し拳処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」と仰せです。

私は、「ひとりの学会員」として、自分に出来る事は何かと考え、これまで応援してきた公明党に、立党の精神に立ち返ってもらおうと、「安保法案の白紙撤回を求める」署名活動を決意しました。

その思いをゾーン長、総県長にお話ししました。総県長は、私の思いを理解してくれましたが、「学会組織の中ではやらないで欲しい」と言われました。そして、7月30日、私はホームページを立ち上げ、署名活動を始めました。

 報道関係からの取材もあり、全国から数多くの署名が寄せられました。賛同と励ましのお声も頂きました。送られる署名と共に、お手紙を添えられる方の殆どが、学会員さんでした。お手紙には、

「公明党は目を覚まして欲しい」

「今まで応援してくれた友人に申し訳ない」

「党に意見を言っても全く応えてくれない」

「公明党はおかしいと言ったら、村八分になった」

「信心が足らない、反逆者だと罵倒された」等々、

学会の中で孤立され、苦悩される、同志の方々の切実な声が書かれていました。

私は「何としても、皆さんの、そして私達のこの声を、公明党山口代表に届けよう」

と、ご本尊に祈る毎日が続きました。

 署名を受け付ける為に、私は名前と住所、連絡先を公表しましたが、ツイッターや電話で見ず知らずの人から「一人でやってろ。脳みそに蛆が湧いているのか。学会やめたら。」などと言われた事もあります。

私は、時間の許す限り、安保反対のデモにも参加しました。学会の三色旗を掲げましたが、「デモに三色旗を持って行くな。許可を貰ってやっているのか。他の学会員に迷惑だからやめろ。」等のご批判も受けました。しかし、私は、池田先生の平和思想を正しいと信じる不肖の弟子の一人として、そして、創価の生命哲学を学び実践する信仰者として、「池田思想はここに在り!創価の哲学はここに在り!いでよ、真の同志よ!」との思いで三色旗を掲げて参りました。その思いを掲げるのに、一体、誰の許可がいるというのでしょうか。勇気を振り絞って、路上に立ち、対話をしました。そのおかげで、多くの真の同志の方々とお会いする事が出来ました。

そして戦後70年が過ぎ、平和憲法が壊され、人権が踏みにじられ、再び戦争ができる国に突き進んでいくのではないかと、止むにやまれぬ思いで、声を上げて立ち上がる方々に、私は共感し連帯しました。そこには、学会員であるとかないとかの壁はありません。

創価学会初代会長・牧口常三郎先生が戦時中、信念を貫き、国家権力によって投獄され殺された歴史を、デモに参加する、学会員ではない方々から多く聞きました。「公明党は平和の党じゃないのか!学会員なにやってんだ!しっかりしろ!」と多くの叱責も、激励の言葉も頂きました。

8月30日の国会前デモには、多くの学会員の方々が集いました。誰に言われたからでもなく、それぞれが自発能動で、路上に立たれたのです。勇気をもって三色旗やプラカードを掲げ、声をあげ、池田先生の平和思想を訴え抜きました。雨の中、濡れながら署名活動にご協力して頂きました。この日一日で、4千筆以上もの署名を頂き、8月末までに9千筆を超える署名を頂くことができました。本当にありがとうございました。

 そして9月3日、私は、公明党本部に電話をし、「署名簿を山口代表にお渡ししたい」と、お伝えしました。電話に出られた党職員のコジマ氏は「署名の類を代表が受け取ることはありません、代理の者が受け取ることになっています」と言われました。しかし私は、「9千を超える署名です、来週、党本部へ持って参ります。是非、山口代表にお受け取り頂きます様、宜しくお願い致します」と言って電話を終えました。

 翌週火曜日の9月8日。雨の降る中、私は、署名簿の入ったリュックを抱えて、公明党本部に向かいました。この日は、1957年、横浜の三ツ沢競技場で、第二代会長戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」をされた記念すべき日です。「抑止力」という言葉に潜む、人間の生存の権利を脅かす「魔性」を弾劾された意義深い日でありました。

私は、まず、信濃町の学会本部に行きました。信濃平和会館で、お題目をあげたのち、池田先生に、これまでのご報告と感謝の気持ちと、今後の決意をしたためたお手紙をお届けに参りました。

その後、私は公明党本部に行きました。正面玄関に立つ警備員に用件を伝え、取り次いで貰いましたが、「聞いてない」と言われ、私はその場で職員のコジマ氏に電話をしました。コジマ氏は別の建物にいるとのことで、対面することはありませんでした。コジマ氏は「代表は受け取りません。署名は代理の者に渡して下さい」との一点張りで、あらためて聞くと代理の者というのは、外に立っている警備員の事だと言うのです。「署名簿は、警備員に渡すか、それが嫌なら持って帰って下さい。これは、公明党のルールです」とまで言われました。しかし、皆さまの思いの込められた署名簿を警備員に渡すことなど、到底できるものではありません。「なんとか、検討をお願いします。せめて顔を合わせて対話をして頂けないでしょうか。」と、私はコジマ氏にお願いをしました。しかし、コジマ氏は電話で話すばかりで、あくまでも顔を見せようとしません。私は他の職員の方の対応をお願いしたのですが、それも聞いてもらえず、取りつく島もない受け答えでした。コジマ氏との電話でのやり取りは長時間、何度も続きましたが、その間、私はリュックを抱え、ずっと玄関前に立っていました。しまいには

「警備員に渡せば早く帰れますよ」

とまで言われました。夕方5時を過ぎると正面玄関のシャッターが降ろされました。

私は通用口から帰宅する党の職員に話しかけましたが、みな顔をそむけ足早に去っていく人達ばかりで、結局、話を聞いてくれる人は一人もいませんでした。

「明日また参ります。署名受け取りのご検討をお願いします。」

私は電話でコジマ氏にそう伝え、雨の中、公明党本部をあとにしました。

 翌日、9日。この日も雨でしたが、昨日と違い、党本部前にはバリケードがはられていました。警備員も2人に増えていました。きのうは、玄関前の軒先に入り、多少なりとも雨風をしのげたのですが、今日は、それさえもさせてもらえない応対になっていました。警備員に来訪の用件を伝えましたが、「聞いてません。アポのない人は敷地内には入れません」と言われました。仕方がないので、目の前にある党本部に電話をしました。

私が電話をかけると、必ずコジマ氏に繋がるようになっていました。コジマ氏に「警備員に今日、私が来ることを伝えてなかったのですか」と尋ねましたが、「あれ、伝わってなかったですか」などと、とぼけられました。 

この日もコジマ氏は、「別の建物にいて行けません。署名は警備員に渡すか、持って帰って下さい。」の繰り返しでした。私は「コジマさんが来られないなら、他の職員か誰か来て話をする事はできませんか」と問いかけましたが、応じてもらえませんでした。

雨の中、立ったまま、電話でのやり取りをしましたが、やがて5時になり、シャッターが締められました。通用口から出てくる党の職員に話かけようと、私が右側の出口で待つと、なぜか左側の出口から出てきます。左側の出口で待つと今度は右側から出てくるという、なんともあきれる様な応対をされました。そのうちに出てくる人もいなくなり、コジマ氏に電話で「明日も参ります。宜しくお願いします」と伝え、署名簿の入ったリュックを抱えて帰りました。

 三日目。この日は、鬼怒川が決壊するなど各地に水害をもたらすほどの大雨でした。

雨具を着込み、党本部の前から電話をかけました。党の応対は、きのうと全く変わりませんでした。私は、これまで、公明党を信じてきました。昨年4月の統一地方選も、F活動をし、友人に候補を会わせるなどをしてきました。私は公明党の党員です。しかし、今回の署名活動を通じて、今まで信じてきたものが崩されるような思いがしました。私がこれまで応援してきた公明党は、幻想だったのか。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」公明党の立党精神、人間主義はどこに行ったのか?「平和の党・庶民の味方・小さな声をきく公明党」ではなかったのか?

ネットでは、「アポなしで行くなんて非常識だ。山口代表は忙しいのだ、そんなものワザワザ受け取るわけがない。迷惑行為はやめろ」という声があったのも知っています。事実、党本部の応対も、私をそのように見ていたものでした。それは私に、「この人達は私の事を、(迷惑なクレーマーだ)としか見てないな」と思わせるものでした。

 激しく降り続く雨の中、署名簿の入った重いリュックを抱え、合羽をまとい、傘を差して、党本部前の路上に立つと、見える景色があります。建物一階の玄関の中、突き当りの壁に貼ってある山口代表のポスター。正面の受付カウンターにいる女子職員と、傍らに立つ男性職員がこちらを見ていました。

二人は、笑っているように見えました。

私は心を鎮めるため、お題目を唱えました。「山口代表に何とか署名簿を届けたい。私たちの声を受け取って頂きたい」その一念で、雨の中に立ち、お題目を唱えていました。

 やがて4時頃、なぜかこの時は、コジマ氏のほうから話をしてきました。

「天野さんは、署名を職員には渡す気はないんですよね?」と言ってきたのです。私は、不自然に感じました。確かに私は、最初の日に、「山口代表に直接手渡すこと」に拘っていたため、職員に渡すことを拒否したかもしれません。しかし、今までの3日間、顔も会わせず、職員に会うことも、対話することさえ拒否してきたのは、コジマさんの方だったのではないですか !?

しかし、このままでは、道は開けないと思い、私は、この際、署名を党職員に預けて、山口代表に渡して頂きたいと答えました。

それからは、条件交渉になりました。コジマ氏は「党の職員が受け取りますので、天野さん一人で本部に入ってきてください」と言ってきました。私は、建物内での密室の受け渡しは避けたいと思っていました。実はこの時、公明党本部前には、報道関係の方もいましたし、学会員や、そうでない方々、安保反対の署名に協力して頂いた同志の人達が応援にいらして、見守って下さっていたのです。私は、「皆さんに署名の受け渡しを見届けて頂こう」そう思い、コジマ氏に「玄関先での受け渡し」を求めました。しかしコジマ氏の答えは「職員は外には出ない。あくまで建物内での受け渡し」でした。 

交渉を重ねた結果、「建物内で立会人を一人認める」ところまでになりましたが、写真撮影は認められませんでした。またしても「これは党のルールです」と言われました。その上、コジマ氏は「それが嫌なら、この話はなかったことにします。」とまで言ってきました。 

私は、再度交渉し、写真撮影を認めてもらおうと何度も電話をかけましたが、とうとう繋がらず、この日は終わってしまいました。

 翌日、4日目となる9月11日は、青空が広がりました。いつものように私は、本部前から電話をかけましたが、電話口でのコジマ氏の態度は、それまでとは全く変わってこう言いました。「検討致しました結果、写真撮影を認めます。建物内に二人で入って頂ければ、党の職員が署名を受け取ります。ただし、撮影は職員がします」。

コジマ氏の変化に驚きながら、私はたずねました。「それでしたら、動画で撮影できますか」。するとコジマ氏は電話の向こうで何やら相談している様子でしたが、すぐにオーケーがでました。党本部の「今日中に片付けてしまおう」、そんな気持ちが、電話口から伝わってきました。

 コジマ氏には、ご本人の部署や職位をたずねましたが、なにも答えてはくれず、結局、最後まで顔を合わせることはありませんでした。4日間も党員からの要望を門前払いし、対話を拒否し、条件交渉させる政党が一体どこにあるのでしょうか?それは血の通った民主主義ではありません。官僚主義であり、権威主義です。

 この日も、本部前には、多くの方々が応援に来てくださいました。新たに署名を持ってきて下さった方もおられ、署名数は、合計9177筆になりました。

賛同、応援して下さいました皆様には本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

 午後3時。指定の時間となり、私と立会人の代表の方との2人で、公明党本部に入りました。

 応接室に通され、若い職員の方にカメラを渡し、撮影をお願いました。テーブルを挟んで座る職員のかたは、皮肉にも「ヤマグチ」という名前の方でした。悪い冗談だと思いました。私は、職員のヤマグチ氏に、署名簿と山口代表あての親書とを添えて手渡しました。「確かに代表にお渡しします」と言って頂きました。

活動のホームページに公開した動画はここで終わっていますが、このあと、本部内で私は、署名をして頂いた沖縄の学会婦人部の方からのお手紙を、読ませて頂きました。ここで改めて、その一部ですがご紹介したいと思います。

「公明党の本部には沖縄の声にもう少し、いや、もっと真摯に向き合ってほしいと思います。池田先生は、沖縄から立正安国を実現させようと、これまで何度も来沖してくださり、沖縄の学会員の皆さんを励まして頂きました。しかし、政府与党に入りながらも、言っている事、やっている事が全く違うので、立党精神にある「大衆」に沖縄県民は入っていないのか?と思うくらい頭にきています。」

ご婦人の手紙の一部をご紹介させて頂きましたが、果たして、公明党の職員はわかってくれたでしょうか。公明党の議員も、支持者も、沖縄の声に耳を傾けなければならないのではないでしょうか。

 さて、「安保法案の白紙撤回を求める」署名活動は、これで一旦の区切りとなりました。その後、国会前での抗議行動などで、三色旗が振られましたが、9月19日、法案は採決されてしまいました。しかし今も、安保法制に反対する運動は続いています。

 一方、創価学会は、夏の参院選に向かって公明党を支援する体制になっています。しかし、池田先生は2001年9月の毎日新聞のインタビューで「私たちは公明党を支援するために信仰しているのではない」と明確に仰っています。学会本部は「選挙でどこを支援するかは会員の自由です」と公式に言っています。ならば、どうか、公明党を支援しないという同志を、「反逆者」呼ばわりしないで下さい。「村八分」にしないで下さい。安保に反対する学会員を「共産党」だと、レッテル貼りをしないで下さい。デモで三色旗を振る同志を「にせ学会員だ」などとデマを流さないで下さい。

なぜ、同志が苦しめられるのか。

ここ数年の学会と公明党、安保を含む様々な問題に、苦しんでいる同志がいます。私たちは、その元凶が何かを徹底して見抜いていかなければなりません。

 最後に、池田先生のご指導を学んで、私の話を終えたいと思います。

「たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、

「何をやっているんだ!」「先生の指導と違うではないか!」と、

はっきりと言い切っていくべきである。私たちは「言葉」で戦うのである。

明快に言い切っていくことが、現実を変えていく力なのである」

池田先生のご指導のままに、自分自身が大きく成長し、善の連帯を強く、深く、広げる戦いをして参ります。      

             以上

(2016.2.28 横浜にて)